木村 竜太

木村 竜太

東京、吉祥寺にあるダブルオークロス教会の主任牧師。妻のパトリシアと二人の娘がいる。ツイッターのフォローはこちら

ティム・ケラー先生を偲んで

10年前、それまで仕えていたカリスマ教会から追い出され、ミニストリーへの自信を失い、挫折し、自らの召命、アイデンティティにさえ疑問を持ち、苦しんでいた私は、「クリスチャンとして本当に聖書に基づいたアイデンティティを持って生きるとはどういうことか」「キリストと福音に本当に根ざした健全な教会、ミニストリー、教会リーダーシップとは何か」と考えるようになりました。

福音中心的な文脈化(2)漫画「Naruto」の例

前回は、福音を自分自身の存在、人生、自分自身の『文化』にどう文脈化していくかを学びました。福音の贖いのストーリーの5つの要素(創造、堕落、贖い、刷新、そして完成)を自分自身に当てはめ、以下のような質問を問いかけながら、福音を適応してみました。

福音中心的な文脈化(1)

福音中心的な文脈化(1)

『福音をどう日本人、また日本文化に適応させられるだろう? 福音を日本人に分かりやく理解できるよう伝えるには、どうしたらいいのだろう?』このテーマは、25年前、私がイギリスでクリスチャンになった時からずっと考えていたことでした。

私たちの間に住んだ神

ヨハネ1:14 「ことば(イエス)は人となって、私たちの間に住まわれた。」

キリスト教を知る上で、カギとなる事実は、処女マリアが神の聖霊によって身ごもり、神が人となって、この地上にやってきたという事実です。この聖書で、「私たちの間に住んだ。」という住むという言葉はギリシャ語では”tabernacle(幕屋、神殿)” という言葉が使われています。要は、神であり人でるイエスは、私たちの中で幕屋・神殿になったということです。どういう意味があるのでしょうか?